中止とは?/ ノーローン
[ 14] 絶叫機械+絶望中止
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/screammachine/
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問題といっても作品のせいではなく(ある意味作品のせいなんですが)、問題にしたのは鳥取県の教育委員会。コンビニで販売されていた雑誌に連載されていた『巨乳ドラゴン』に対して「有害図書」個別指定があったわけです。 思わずテキサスい感じで超訳してしまったが、まあおおむねこんな感じだ。そりゃ興奮するさ。『巨乳ドラゴン』が映画化だ!ってね。でも読んでいくと、どうも変だ、三家本さんの名前がどこにもない!予告編の最後にも載ってない! ここは極東の島国に住む映画関係者諸氏に奮闘してもらい、ぜひ日本で公開する際には「原作:三家本礼」の名前を勝手にクレジットしてほしいものであることだなあ、と思うのであった。そもそも日本で公開できるのか、これ。 昔、川べりを歩いて海まで行こうとしたことがある。一度は間違えて上流に進み、公園で終わった。二度目はビルに阻まれ、その向こうへ行く気をなくした。三度目に歩いたときは、まったく知らない土地を歩きながら海が近付いてくることを願い、日暮れとともに怖くなり、やがて動けなくなったおれを地元の警官が見つけ、迷子札が役に立ち、母親が迎えに来て、おれを殴った。八才頃のことだ。 夕暮れも、知らない土地も、見たことのない景色も、どれもおれを歓迎してはくれなかった。今でもおぼえているのは、川沿いにあった蔦だらけの団地。まだ日は高く、川沿いの道から少し入ると、団地と団地の間が大きく開けていて、木漏れ日をさけるように、そこに張られたテントの下に、無数の自転車が置いてあった。 放置自転車を集めて売る市のようなものだと、その当時のおれは解釈し、たぶんそれは正解だったと思う。汚くサビた自転車たちは、厚みがないみたいに押しつぶされて、無造作に並べられていた。ひとの気配もなく、ただ地面の茶色と、団地の灰色、蔦の緑だけが記憶に残っている。 川沿いの道をそれて、その自転車の群れへ気が移ったのは、これから歩いて行く海への距離と、足の疲れが原因だったのかもしれない。だが、一度それると元に戻れないような気がして、おれは川沿いの道を離れられず、遠くからその自転車たちを眺めるだけだった。その団地から遠ざかると、子供たちのはしゃぐ声が聞こえた気がした。さっき見たときは誰もいなかったのに、遠ざかると現れるのだろうか。その時の疎外感が、今も続いている。もしあの時道をそれていたら、おれはあの自転車たちの中で誰かに出会えただろうか。それとも二度とあの場所から戻ることはできなかっただろうか。 「戻れないわけないですよ、ただ帰るのが早まっただけでしょ、まったくロマンチックだなあ、そんなの犬に食わせておしまいなさい、あ、どうも神様ですけれども」 そんなラジオの枕みたいな喋り方をして、神様はおれの思考をかき乱した。モザイクの追加作業も佳境に入り、もはやバグチェック的な作業しかあとは残されていない。これがオリジナルの作品なら、モザイクから少しだけ漏れている毛や亀頭を探し出して、ノミをプチプチつぶすように修正を加えるところだが、もうすでにモザイクのかかっている素材に、さらに大きなモザイクをかけただけの総集編である、よほどのことがない限り、チェックのあとで大きな作業が必要になることもない。 だから、この時間はいつも、おれはふと見た景色から連想する記憶を弄んだ。似た髪形の女と少し付き合ったことがある。あの子も肌が白くって、喋るときにすぐ笑うんだ。鼻の上、目頭と鼻頭をむすんだ三角形の真ん中あたりをくしゃっとさせて笑うのが流行したのは何年ごろだっけ? あのころおれはイベント会社で働いていた、その現場で知り合ったメイクさんのアシスタントからもらった電話番号の紙を、一年後に見つけたときは電話をかけるべきか捨てるべきか迷ったものだ。 「電話をかけてどうするのさ、はいこんにちは、ぼくは、誰ですか?何て言うの?」と、おどけた調子で神様は笑った。まだ出会ってから半日も経たないのに、神様はすっかりおれの友達気どりだ。 「その時はおぼえていたんだよ、だから問題はかけてどうするのか、ってことだったと思う、たぶん」と頭で答えると、首をぐるりと一回まわし、おれはヘッドホンをはずした。煙草は吸わないが、休憩時間は必要だ。さて一段落つきましたよ、という顔をして、おれは独り言を言った。「お茶、買ってこようかな」 これは、事務系の仕事をしていたときの癖で、しかしどこでも役に立っているスキルだ。何も言わないで席を立てば、サボリと区別はつかない。かといって「今からコンビニに行きますが、何かを買ってくる用事を承りましょうか?」では、下手に出過ぎる。大切なのは対等さで、パシリをやりたくないが拒否するほどでもない立場の場合は独り言が一番安全策なのだ。 編集部の近くには三つのコンビニがある。仮にAとB、そしてCとする。今おれたちが立っているのは一番近くにあるコンビニAであるが、これはいつの間にか潰れていたので元コンビニA、である。問題なのはその距離で、もし二番目に近いコンビニBに行っていたとすると、そのコンビニBから三番目のコンビニCまでは、さほど遠くはないので、もしコンビニBが不慮の事故などでなくなっていたとしても、コンビニCへ行ったおれたちがした余計な運動は、元コンビニB(仮)からコンビニCへの往復移動だけ、ということになる。ところがこのコンビニAからコンビニBまで移動するには、一度編集部のあるビルを横目に見ながら、正反対の方向へと歩かなければならないのだ。つまりコンビニAを一番近いと思ってやって来たおれたちは、結果的には元コンビニAから編集部までの往復距離+編集部とコンビニCの往復距離を歩かなければならない。 「コンビニエンスストア、なんて言ったって、ちっとも便利じゃないね」とイマシロさんは笑った。このひとはいつ見ても笑っていて、この前などライター相手に怒りながら笑っていたので、間抜けな失敗をしたライターは怒られているのか大した失敗ではないのかわかりかねる様子で苦笑いを浮かべていた。イマシロさん。どうしておれはこのひとの名前だけおぼえているんだろう。好きか嫌いかと問われたら、困るタイプではある。嫌いではないが苦手な部分も多いし、好きと一言で表せない程度には複雑な感情を抱いてしまう。イマシロさんはおれの名前をおぼえているだろうか。まさか「おれの名前わかりますか」なんて聞くわけにもいかないし、何しろどんなレベルで固有名詞がなくなったのかがわからない。もしこれが病気なのだとしたら、たとえ教えてもらったとしても、おれは、おれの名前を思い出せないだろう。 むかし、催眠術をかけてもらったときに、数字の六を忘れたことがある。六という数字を見ても、なんと読むのか思い出せない。それどころではなく、この耳が「ろく」という音を聞いてなお、口からは「ろく」という音が出ないのだ。この感覚と、いまの感覚は似ている。 こうなって気づいたことだが、同じ職場で何日も同じ仕事をしていると、名前がいらなくなる。男尊女卑というわけでもないのに、長く連れ添っていると妻の名前が「お前」になるようなものだ。そう、夫の名前だって、長く一緒にいれば次第に「あなた」へと変貌していく。人間というのは、なるべく単純な言葉だけを交わして生きていたいのかもしれない。出会った人間の名前と顔をすべておぼていられたら、金持ちか政治家(か、その両方)になれる、と誰かが書いていた気がする。そんなことができれば、確かにどちらにでもなれるだろう。 おれが立ち止まったので、イマシロさんはおれのことを気にしている。顔色悪いよ、どうしたの? イマシロさんにのぞきこまれて、おれは脂汗を流しそうになる。おれの目の奥に、気味の悪い神様とやらが鎮座していて、それと目が合った死ぬみたいな勢いで、おれは目をそらす。 イマシロさんはあまり気にしていない様子で、先に立って歩き出した。「寒いね」「寒いですね」「最近どう」「ぼちぼちですね」何て会話をしながら歩いていると、いろいろなわずらわしいことが消えて、まるで普通の生活をしている普通の人間みたいな感じがした。神様は喋らなかった、ふてくされているのかもしれなかった。 「イマシロさん」口に出してみる、間違えていないだろうな、違う名前だったりしないだろうな。「ん?」普通に返事が出た、どうやらこのひとの名前はイマシロさんで間違いないらしい。 「イマシロさん、一日一万文字書いたら金持ちになれると思いますか」おれは訊いた。イマシロさんは目を丸くして、笑った。 写経、というものがある。ありがたい天竺のお経を、三蔵法師は全部写経する。お経は読んでも効果があるが、書き写すとさらに効果が倍増するのである。あぶってもいいが、静脈注射だとさらにイイ、みたいな話である。ちなみにチベットの方では読むのすら面倒がった誰かが、お教の書いてある筒に棒をさして、一回転させたら一回唱えたことになる、と考えだした。クルクル回せばそれだけ功徳がつめたことになる、らしい。もはやお経がお経である意義さえなく、文字が読めなくてもかまわない道理である。 「セラピー効果ってやつかな、金持ちになれるかどうかはわからないけど、つづけたら何がしかの効果はあるだろうねー、でもその前に気が狂いそうだけど」 「気が狂う?」口の中が乾いてくるのがわかった。確かに順番は違うかもしれないが、はた目から見ればそんな順番なんて些細なことだろう。気が狂っていることがわかるのは、気が狂っていることがわかる程度に何かが起こったあとなのだ。おれの気狂いが発覚する、警官がおれの部屋を捜索する、出てくる紙きれにビッシリと書かれた文字、それははかったように毎日一万文字。そうか、一万文字書いたから狂うのも、狂ったから一万文字書き続けるのも同じことか。イマシロさんは少し考えてからこう言った。 「夢日記を付け続けると狂うって言うでしょ、あんな感じでさ、頭の中にあることを全部文字に変えていったらおかしくなっちゃうんじゃないかなあ、おれは文字ベースの人間じゃないからそう思うのかもしれないけど。だって作家なんて一日何文字書くんだ、って話だもんねえ」 「うん、それはデザインしてるときに、いっつも思うことだな。おれたちは配置するのがメインの仕事でさ、動かして位置を決めるのにセンスは必要だけど、それって訓練すればどうにかなるものなんだよね。職人だなあ、って感じるものいつも。それにさ、デザインって「一日一万文字」みたいに量じゃはかれないからさあ」 コンビニBが近づいて、おれとイマシロさんはポケットに手を入れた。ポケットにジャラ銭を入れるのも、ジャンキーの共通点だ。浮浪者を見ているとよくわかる、ある種の生活を繰り返していると、識閥の値がぐんと下がって、あらゆることがどうでもよくなる。恐ろしいことに、浮浪者の大半は自分が臭いことを知っている。知っていながら、それをどうにかすることをあきらめてしまう。段ボールの家に住み、よごれた毛布の中にうずもれることも、厭わないのではなく、厭いながら、あきらめているのだ。 おそらくそれは、おれたちがコンビニのメシを食ったり、居酒屋で安い酒を飲むのと同じことだ。それがゴミのようなものでも、それしかなければそれを食う。慣れというのは、人間にもともと備わっている機能なのだと思う。だいたい洞窟で生きている頃は、臭くて汚いのが普通だったはずだし、それがちょっと服でも着るようになったからといって、突然平気ではなくなるように進化したはずがない。 ジャンキーは、大きな金か、小銭以外は持ち歩かない。できることなら大きな金だって持ち歩きたくはない。なぜなら大きな金はすぐにパケに変わるからだ。それに、財布はどうしたって無くなるようにできている。社会生活を営むようになると、シラフでいる時間が増えて、なんとかカードや何かを入れるものぐらいは持てるようになるが、それに合わせて小銭入れなどを持ち歩くなど、到底不可能なことに違いない。 そうしてジャンキーは、ポケットに入れた小銭が汗で変色する生活に慣れる。あきらめる。識閥の値を下げて対応する、新しい生活に乾杯。 コンビニに入り、食物の棚を物色する。アンパンを手に取ったイマシロさんがニヤニヤ笑う。加熱処理されていても、芥子の実は魅力的だ。おれもあいまいに笑う。おにぎりひとつ、パンひとつ、紙パックのお茶ひとつ。四百五十一円。毎日コンビニで消費する金額を考えると、どうして自炊して弁当を持ち歩かないのかを疑問に思うこともある。弁当を作ったり、食事を用意する時間を削ってすることといえば、自慰と睡眠だけだ。 自慰と睡眠、飯を食う、それらを賄うために、おれはモザイクをかけ続ける。モニターの中に男の裸が映る。くそ、バグ発見。雑誌基準でお前にはモザイクかけなきゃならないってのに、どうして出たり入ったりするんだよ、おとなしく画面の斜め下で腹だけ出していてくれよ、マウスをカチカチと鳴らしながらおれは悪態を吐く。言葉にはしない、ため息や、ああ、と呻く声だけが漏れる。エアコンがヴィーヴィー頑張っている、唇がピリピリ音をたてて割れる。紙パックのお茶がおれの内臓にしみこんでいく。マウスで位置指定、左クリック、コマ送り、位置指定、左クリック、コマ送り、位置指定、気が狂う。 「そう、そうなんだ、書いてみたらいいんじゃないかと思うんだよ。何も今すぐ役に立つことや、面白いことを書けって言ってるんじゃないんだよ。良いか悪いかは私が判断するから、とにかく書いてほしいんだ、一日一万文字」 「あのさ、思うんだけど、そういうのは作家志望のやつのところにいってやればいいんじゃないかな。よく言うじゃないか、やつら『いい編集者がいれば、おれだっていいものが書けるのに』って」 椅子から立ち上がり、トイレに向かう。乾燥しているから水分をとる、吸収されないですぐに出ていく。悪循環だとは思うけどエアコンの効き具合に文句を言うわけにもいかない。労働環境の改善を望むほどに、おれが真面目に働いているとは到底思えないからだ。小便を垂らしながらおれは神様に話しかけた。 「自分で言ってただろう、三千文字なら書けるって。だからそれじゃダメなんです、一日一万文字を書けなかったら、それ以上書けるようにはならない。神様うそつかない」 「忍者が麻の種を埋めてさ、成長するスピードに合わせてジャンプしていると、高く跳べるようになるみたいもんか」 最後に口に出したのが、どっちの言葉だったのか。ドアを開けて入ってきたチーフが怪訝な顔でこっちを見た。小便はとっくにとまっていた。場所を入れ替わり、洗面台へ向かう。蛍光灯がおれの顔を照らしている、角度が違うのか、ずいぶんと顔色がよく見える。おれは手を洗いながらチーフの目を見て言った。 砂を噛むような顔、というものがあるとすれば、そのときのチーフはそんな顔だった。口が二度開いたが、二度とも何も言わずに閉まった。 トイレを出てからしばらくは、笑顔が顔から消えなかった。あいつ、思い出せなかったぞ、おれの名前を思い出せなかった。喝采というのか、もし観客席があればおれのストライクな質問に声援が飛んだはずだ。 名前なんて知らなくていいんだ。どこかの書類にはおれの名前が書いてあるだろう、それはおれのあずかり知らぬままで、おれも、誰も、おれの名前なんて知らないままでいい。危うく神様の作戦にひっかかるところだった、自分が誰だかわからなくたっておれは困らない、背もたれに体をあずけようとして、その深さにおびえて体を起こした。 この椅子の背もたれにはいつまで経っても慣れない。思ったより深くしずむくせに、気持ち良く眠れるほどにはしずまない。何よりやわらかすぎて、手ごたえがないのだ。あのとき、夕暮れに歩いた川べりを思い出す。背もたれがやわらかいのも、川の終わりが見えないのも、どうして怖いのかはわかっている。どちらも自分の考えた深さじゃないからだ。 編集部のビデオ班は、おれの入る前に三度引っ越しをしている。同じビルの別の階から一回、同じフロアの中で二回。どちらも人員の大幅な入れ替えと、データの一括化が同時に行われたそうだ。 あるものを、違う形に切り刻み、組み立てて、誰かに渡す。それが編集者の仕事だ。そうすると自分はすぐれた編集者であると自称する神様は、最後の点でやっぱり自称だ。なぜなら神様がいくら素晴らしい作品を組み立てたって、それを持って誰かに見せるのはやっぱりおれだから。最初から神様なんていなくても、おれがもしそれを書けるならおれはそれを書いているだろう。書かないなら、それは書けないのではないかもしれないが、やっぱり書けないのと同じなのだ。いい作家は悪い編集者がいても書ける。大切なのは書くということであって、書けるということはたいした問題ではない。 神様は答えなかった。このままどこかへ行ってしまえばいい、おれは神様なんていらないんだからな。子供のころ、母親が宗教にハマっていた。体に不純物を入れるのを嫌がる宗教だったので、父親に殴られて折れた前歯を入れたのは、おれが中学にあがったときだった。その頃は宗教ではなくニューエイジな何かにハマっていたので、毎日食卓には大豆で作ったニセの肉が並んでいた。まさか母親も十数年後には食べ放題の安い焼き肉屋に行くだけで、同じニセ肉が食えるようになるとは思っていなかったに違いない。大豆由来だから健康にいいってのは、ルルドの泉だから病気が治るのと同じくらい妙な論理だったのだと今は思う。当時はただまずいという言葉をうす茶色の物体とともに呑み込んでいただけだ。 アパートに帰って服を着替える。ゆるいジャージを部屋着にしてから少し太った気がする、座るときに腹回りが楽、ということはやはり太ったということなんだろう。自分の体重を計らなくなったのはいつごろからだったか、少し前には体重計がどこかにあったはずだが、いまは部屋のどこにあるのかがわからない。 「上の階に馬鹿が住んでてね、夜中に小便をするんだ、窓から外に向かって。でも勢いがなくてさ、前の壁に当たって窓に跳ね返る。ほら、窓に点々と白いつぶがついているだろう?あれは尿の中にあるカルシウムが凝固したものだと思う。昔は便所にあるあの白いのと何かをまぜて火薬を作ったとかいうけど、とにかく臭くてね、あのまどは去年の夏から一度も開けてない。外から見ればトタンが腐って穴があいてきているから、よくわかるはずだよ」 「夜中だけだよ、通りと言ったってタクシーしか走らないような道だし、誰も馬鹿のことなんて見ちゃいない」おれはふと、尿意をおぼえて便所へ立った。このアパートには部屋が六つあり、便所が三つある、どれを使ってもいいことになっているが、一階ではなんとなく奥の二部屋にいる奴が奥の便所、手前の二部屋にいる奴が手前の便所、ということになっている。トイレットペーパーの補充も、そろそろかな、と思った頃合いで補充する。このアパートに住んで二年経つが、一度もかぶったことがない。 二階には部屋が二つあり、便所が一つある。つまり、馬鹿には二分の一、便所を使う権利がある。だが去年の夏、引っ越してきた馬鹿の部屋から異臭がしはじめたところで大家が問い詰めると、馬鹿はこう言ったそうだ。 その夏は忙しく、おれはほとんど家に帰っていなかった。事情を知らず、数週間ぶりに帰った我が家を換気し、買ったばかりの雑誌と、寝るときにかけるためのシーツ、そしてお湯を入れたカップラーメンを台無しにするべく、おれは窓を全開にしてテレビをつけた。 どのチャンネルをつけても笑い声が聞こえる。その頃のおれは余裕があったので、くだらないおしゃべりも雀のさえずりも平等に愛することができた。つまりビールを片手に雑誌を見ながらラーメンをすすりつつ見るには、テレビのバラエティがちょうどよかったということだ。通りを走るタクシーの排気ガスと、そのエアコンがもたらす金属的な蒸し暑さすら、極上のスパイスに思えたくらいだと言っても過言ではない。 激辛と書かれたラーメンから香ばしいラー油の匂いがただよった。目に見える煙のように、部屋の中に辛みの層が出来上がる。辛い食べ物にもいろいろあるが、おれはコンビニで買えるレベルの辛さが好きだった。量産品の辛味、ツンと舌を焼くが、さほど長続きはしない偽物の辛さ。これが本格的な四川料理などでは逆に興ざめする。カップ麺百五十五円、缶ビール二百四十五円、通り沿いの二階建てアパート月三万九千円。全てが安っぽくだらしない。コンビニで買ってきたばかりの冷えたビールを開ける。ペキシュ、と小さく泡が飛び、麦の香りがあたりに広がる、先刻広がった辛い煙の層に折り重なるようにビールの芳香がむわんと広がってボドボドボドボドボドドドドド。 調子外れのリズムで、表のトタンが鳴っていた。大粒のしずくが窓から部屋に降り注ぎ、カップ麺と雑誌を濡らしている。雨が降ってきたのか、しかもかなりの土砂降りだ。テレビの音が大きくて気がつかなかったのかもしれない。おれは立ち上がり、ビールを持ったまま窓辺へ進み、一直線にトタン壁へ向かって落ちてくる水流と対峙した。 これは、雨ではない。雨というものは一直線にどこかをめがけて降ってくるものではない。しかしまだおれは常識という鎖に手足を縛られていたので、その水流が何であるかを見極めることができなかった。ドボドボドボドボドボボボボボ、ドボッ、ドボッ、ドボドボドボドボドボ。飛沫は容赦なく雑誌にふりかかり、カップ麺のふたは内側にへこみ、豊潤な香りの失せた激辛キムチラーメンからはなまあたたかい湯気が立ち、これはもう小便以外の何物でもない。 小便だ、ということにおれが気づいてから、それが出切るまで何秒あったのかは知らない。だが少なくとも自分の頭上から降ってくる水流が、誰かの垂れる小便であるという事実に遭遇する可能性のある者にアドバイスがあるとすれば、ひとつだけだ。 それが何であれ、もし窓の外に一本の水流が勢いなくドボドボ垂れているときは、躊躇せずに何か長い棒などを持って上階に駆け上がり、ドアを蹴破ってその垂れ流している人物を殴り殺すか、もしくはすべてをあきらめて激辛キムチラーメンの小便カクテルを飲み干して寝てしまうべきだ。おれはそのどちらもできず、窓を閉め、畳を拭き、ラーメンのカップを持ってトイレへ入り、その中身を便器の中へと流し込んだ。 もともと便器へと向かうべきものを、改めて運び、送り届けたのだ。そう、おれの行為は正しい。正しいが、正しさはときに空しく悲しい。あまりに想像を絶することに遭遇すると、ひとは無反応になるというのを何かで読んだ。あれは本当だ。水洗いしたカップと、床を拭いた新聞紙とティッシュペーパー、そして雑誌ををごみ袋に捨て、煙草に火をつけて一息つくと、自分でも驚くほどの大きな悲鳴が口から飛び出した。悲鳴といっても金切り声ではなく、口は「え」の形のまま、まるで警笛のようにずるずると音が流れ出た。それから翌朝まで眠れずに、不動産屋と大家が土下座をするエンディングで締めくくられる一本道シナリオのシミュレーションを続けた。 「それからずっと、じょぼじょぼじょぼじょぼ、毎日毎日小便は垂れ流されて、トタン壁はだんだんと腐っていく」 「べつに。ただちょっと追い出せない事情があるらしくて、詫び金やら修繕費やらなにやらが出た。土下座ってそんなに食いつくとこ?」 神様ってやつが、もしこの世界を作ったやつなんだとしたら、うん、それはたぶんそうなんだろうと思う。とにかくこいつは頭がおかしい。言っていることがほんの数時間で変わるし、だいたいにおいて何の役にもたたないところが腹立たしい。 「お前ね、二階から小便垂らしてる馬鹿の話が何でベストセラーになるんだよ、頭おかしいんじゃないの? ああ、頭がおかしいのはおれか」 「いいかい、良く聞けよ、私は何も小便小僧の話で一冊書けなんて言ってないんだ。ただ愉快なエピソードのひとつとして、この体験は非常に貴重なものであり、お前自身の自己を紹介するうえでもこのうえなく」 「小便小僧のどの辺が自己紹介なんだよ」とおれは神様をさえぎるために、言葉を口に出して言ってみた。ガサリと音をたてて、ごみ袋が動いた。去年の夏に比べて雑然としたおれの部屋には、捨て時を間違えて捨て損ねたごみ袋が天井まで積まれている。狂気は伝染する、およそ人間が滅びるのは二階から小便が垂れてくるのが最初で、そこから小便の中に黒い筋の虫が泳ぐようになる。どこまでいっても小便だ。それでも一握の正気らしきものがおれを支えているとすれば、この部屋には一切「生ごみ」の類がないということだった。何かを食べるとすぐにおれはそれを袋につめ、近所のコンビニへと急ぐ。おれの部屋にうずたかく積まれているのは、紙とビニールだけなのだ。 おれは横になり、目を閉じた。神様と称するものが目の前に出て来るんじゃないかと思ったからだ。目の前はまっくらだった。次第にそこに赤とも緑ともつかない渦のような模様が出てきたが、これは瞼を閉じれば誰にでも見えるものであって、何かの神秘体験と言うほどのものじゃない。神様の声は聞こえないが、もうしばらくしたらまた馬鹿のひとつおぼえみたいに「自己啓発本を書いて儲けよう」と言ってくるのに決まっている。黙らせるにはしゃべり続けるしかない。絶対に一万文字なんて書くものか、おれはゆるやかに眠りにおちた、自慰をするのを忘れたことに気づくのは、翌朝のことだ。 今日ひどいことを言われたので、そのことについて愚痴を書く。もちろん仕事があるから充電が終わるそのときまでのことだ。この場合「仕事」と「充電」の間に何のつながりがあるのかを考えるのが作家、疑問に思うのが批評家、意味がわかんねえとふてくされるのがお客様。お客様は神様とも言うが、神様ははたしてお客様か問題、というのがある。今考えた。つまり根本敬の言う「神はいる、ただしカタギでではない」的な問題として、おれは神様というのはどうにもお客様であることだなあ、と思うわけである。つまり今日の愚痴というのは神がおれにひどいことを言った、という話なのだ。 バイトに行く少し前だから、昼の十二時ごろである。上を見ると青空に太陽。太陽には雲がかかっていて、雲の隙間から梯子がおりてきていた。 さすがに口に出すのははばかられたので、心に問いかけた。まさに全日本自分の胸に聞いてみる党の集会さながらに、おれは読んでいた本をパタリと閉じて、立ち止まったまま目をつぶったのだ。すると声はつづけた。 ちっとも神聖なところのないその声は、下卑た調子でささやいた。実は昨晩、静かなる狂人の地味な襲撃を受けたおれは、とにかく頭の悪いやつと気の狂ったやつの話を聞くことに疲れていたので、ああとうとうおれの頭もバカになった上に狂ったか、と嘆き悲しんだ。それはもうたいそうな様子で嘆いたし、その墓に花の絶えることはなかったと後世に伝えられる程度には悲しんだ。 昨晩の狂人というのは知り合いの自称物書きで、実はある本を書いて一発ドカンと売れてしまった知人と共通の友人なのだが、これが知人が売れたものだから自分も売れるものと勘違いしたあげくつぶれていった典型のようなやつだった。仕事がなくなったのは、酒を飲んでは暴れるからだ、と当人は思っているが、実は書くものがつまらないから仕事がなくなっただけで、もちろんそれを知らないのは当人だけなのである。 それで、締切を守らないから仕事のなくなったおれ(もちろん編集者から見れば、締切を破られてまでほしい原稿ではないものを書くおれという人間)の家に夜中に来ては、一緒に儲けようだの一発当てようだのと言ってくるのだ。おれはこいつを見ていると水木しげるのインタビューに出てきた「500円を持ってこれが明日には倍になりあさってにはその倍と言いながら常に500円を持っている男」のことを思い出すのでとても嫌だった。そうだ、水木さんは「その男はいま何をやっているんですかねえ」と聞かれて「餓死でしょう!」と言ったのだった。 それがとうとう追い詰められて、昨晩は正義の襲撃計画について滔々と説明されたのだった。そう、説明。そいつの話はテレビ業界のからくりから芸能界にまつわる陰謀まで非常に狭い範囲で世界の仕組みを説いて明かす大演説だった。おれはそのあまりの退屈ぶりに全身の筋肉から「生きる」という気持ちを抜き取られたような気持ちがした。 やつは、おれの出したお茶をゴックンゴックン飲みながら、つじつまの合わない話を繰り返した。「おれたちは正義だ」「間違っているのは世の中だ」「おれは売られた喧嘩は買うし負けたことがない」「あいつとこいつとそいつにはお灸を据えなきゃならない」「暴力は良くないんだ」「正義のためには仕方ないんだ」「こうすればあいつらも反省する」「おれは昔っからいじめられていて」「暴力は捨てたんだ」「子供のころからあいつらみたいなやつが」「だからこれは正義の戦いで」「おれは」「あいつらを」「おれは」 おれは泣いた。確かにこいつは馬鹿だし、どうしようもないやつだった。だけど話している相手に包丁を向けて笑うようなやつじゃなかった。悲しかった、狂うってのはそういうことか、何もわからなくなってしまうのか。こいつの脳が燃え尽きていくのを、見ているしかない自分にも嫌気がさした。こいつがおかしくなるのを放っておいた連中に腹がたった。こいつは、こんなやつじゃなかったはずなのに。 いや、そうだろうか。本当は、昔からこういうやつだったんじゃないだろうか。狂気はその人間の本性をあらわにする、という考え方だってある。まともに考えられるころには「我慢」していたことを、狂ったことで我慢しなくなっただけなのかもしれない。こいつは確かに昔から、飲むと暴れるし、自転車を蹴るし、自分が強いってことをまわりに言いふらさなきゃ生きていけないようなやつだった。そうか、おれが現実から目をそらしてていただけなのか。だからきっと、昔からこうして必死で自分を守っていたんだろう。おれはきっと「すごいね」「強いね」「あいつら反省するね」と相槌を打ってやらなきゃいけなかったんだ。 でもそれはできなかった。それでもやっぱりこいつは友達だったから、それが病気のせいだか何だか知らないが、ダメだ、危ない、気をつけろと言うしかなかった。そして業を煮やしたやつは、包丁を取り出して大丈夫だ心配するなとおれに言った。そう、心配しないでくれ、おれは強いから、と言ったのだ。だがおれは涙を流した。理由は二つある、ひとつは同情、もうひとつは落胆だ。 「おれは昔、親父に包丁を向けられて一緒に死のうと言われたことがある。お前も、お前の言う敵も、おれから見たら一緒だよ。だから、もうお前の話は聞けない、帰ってくれ」 土下座をされた。やつはごめんなさい許してくださいと謝った。おれは何も答えなかった。これで長かった話も終わる。おれはやつの肩を出いて、荷物を渡し、包丁を鞄にいれてやると、ドアの外に押し出した。大通りに面したおれのアパートからは、駅に向かって連なるタクシーの群れが見えた。おれは財布の中から二千円を取り出し、千円を戻すとやつに渡した。 「許してくれるんだ!やっぱりお前は友達だよ!おれはお前に何をされても怒らないよ!だって友達だもんな!」 千円では帰れないかもしれない。知ったことか、正義の襲撃作戦の前に無賃乗車で捕まってくれればその方が誰も傷つかなくていい。もしかしたらタクシーの運転手に包丁を向けるか? いや、そうはしないだろう、今思えば相手がおれだから、あいつは包丁を向けたのだ。ある意味ではその行為は正しかった、今はもう、おれはあいつの敵だから。 やつがタクシーに乗るのを見送って、おれは部屋に戻った。イライラは頂点に達していた。どうしてやつがあそこまで追いつめられたのか、その原因はどうでもいい、だいたい誰でも思いつくことだし、脳の配線がどうにかなったことに対しておれが何を言えるわけでもない。ただおれはこの生活、つまり二千円くれてやることもできたのに、明日バイト先に行って昼飯を食うための千円を残さなきゃいけないと思ってしまうような生活を抜けださなきゃならないと思っただけだ。 そして、今日の昼だ。声は頭の中から聞こえるようでもあり、そこらへんの路地裏から聞こえるようでもあった。なんにせよ、まったく上品なところのない、詐欺師じみた軽快なしゃべりで、声はおれに自己啓発本を書くようにと勧めるのだった。 おれは話を聞きながら、駅に向かって歩みを進めていた。オーケイ、おれは狂った、それは認めよう。だが狂って幻聴が聞こえるとして、その声がポジティブなものだった場合、おれはどうすればいいんだろうか。幻聴ってのはもっとこう、ロマンチックに世界の崩壊を望んだりするもんじゃないのか?次第に狂っていく世界のルールに対してその体をゆだねて、しかし心は抗いながらやがで死を迎えたりするもんじゃないのか?あるいは夕陽に染まる高速道路を素足で歩くような感じ。そうだ「ファイトクラブ」のラストちょっと前を思い出せよ、タイラーダーデンの詩の暗唱、かっこよかったろ? それがなんだ、おれの狂気は言うにことかいて「儲けよう」だと? 下品で下劣で情けない、これがおれの本性かと思うだけでみぞおちがキュッとする。 「私は神様だよ。気に入らないなら宇宙人でも天使でも守護霊でもいいが、とにかくお前、昨日助けを求めただろ、だから助けてやるって言ってんだよ。いいか、こんなチャンス滅多にないぞ、本物の神様がアドバイスをしてくれるんだぞ、お前だーけーのーためーにーぃ?」 きっとおれはそのとき、とんでもなく変な顔をしていたのだろう。電車を待っている人の列が、いつの間にかおれをすり抜けるように並んでいた。神様が、おれだけのために、アドバイスをくれる。 余計な御世話だ。しかもなんだ、毎日一万文字書けって?アドバイスってもっと身近な生活から変えていくとかそういうことだろう。 「ライフハックか、バカバカしい、あんなのクソだ……そういやお前おととしなんかの本読んで、その中の言葉を紙に書いて壁に貼ってたな、なんだっけ?リンカーンならどうする?だっけ?あれなんかの役に立ったのか?それに自己催眠にも凝ってたな、鏡を見てなんだ、お前はできるとか何とか、あはははははは」 頭の中いっぱいに笑い声が響き、おれの顔が熱くほてるのがわかった。目の中まで血がめぐって怒りで涙がにじんだ。頭がおかしくなる時ってのは、こんな風に自分を追いつめてしまうものなのか?もっと逆に、自分勝手に生きるための妄想と幻覚が手に手をとって夢のような世界へ連れて行ってくれる(そして現実には病院か刑務所へ連れて行ってくれる)もんじゃないのか。それがなんだ、こんな地味な方法で、おれの脳は何がしたいんだ?それともおれはまとも原稿が書けないだけじゃなく、まともな友情が育てられないだけじゃなく、まともな恋愛ができないだけじゃなく、まともに狂うこともできないっていうのか?まともに狂うって何だ?昨日のあいつみたいにステレオタイプな妄想話を夜中に突然友達の家に言ってしゃべり続けることなのか?おれはそんなことがしたいのか? 電車の中でも会話は続いた。頭の片隅でおれは「電波とはいえ、やはり地下でも通じるものなのだな」と当り前のことをふしぎに思った。何が電波だ、馬鹿め。電車は新宿を過ぎて御苑に向かう。バイト中もずっとこいつは話し続けるのだろうか。それなら逆に退屈がまぎれていいかもしれない。ただ気をつけなきゃならないのは、こいつへの返事を口に出してしまうことだ。おれはバイト先では無口で真面目で通っている、それが無口でキチガイになってしまっては給料にひびくだろう。ただでさえ時給を減らされて大変なのだ。何とか話し合いの上で交通費は出ることになったのだが、一日往復三百二十円ではたかが知れている。 「バイトなんかやめちまえ、くだらないですよ。それより一発当ててですね、楽な生活をしようじゃないか、きみ、ね。一回三千文字なら一日三回書けばいい、どうだ」 なんか喋り方が一定じゃないのが気味悪い。狂っているのはおれじゃなくて、おれの中の神様なんじゃないだろうか。ああ、なんだか思い出してきたぞ、最近本屋で見たんだ、自己啓発本で、神様が出てくるやつ。 「ああ、あれを見たのか、あれすごいよな、一億稼ぐって目標に向けて何でもやるって気概にあふれているよな、うん、あれはすごい。だからな、あれをやるんだよ」 電車が御苑に着いた。おれはぐったりしながら、どう説明すれば「毎日一万字」が無茶な目標だってことをわかってもらえるかを考えた。たとえば四文字書くのに「yo-nn-mo-zi-変換」で三秒かかったとする。一万割る四で二千五百秒。二千五百を六十で割ると四十一.六六六六……いかん、四十一分で書けるじゃないかとでも言い出しそうだ。違うんだ、文字を打つってのと、文章を書くってことは、根本的に違うんだ。サルに偶然シェイクスピアを書かせるには何千万台のタイプライターが必要なんだっけ? 「思いつくことなんて何もないよ。だいたい、自己啓発には興味がない、もう一切そういうのはやめたんだ。おれは毎日バイトをして、金をためて、普通に生活する。余計な夢は見ない。才能がないし、努力するのも無理なんだ、人づきあいだって苦手だし、請求書書くのも面倒くさい」 「じゃあ日雇いでいいじゃないか、何でこんな業界の隅っこみたいなところで、毎日ポチポチ入力してるんだ?月締めだとキツイんだろ?今月もまだ半ばだってのに携帯の料金も払えてない。お前はまだ夢の中にいるんだよ、さめたフリしても無理さ、才能がない?才能をためすほど何かを書いたことがあるのかよ、どうせぬるま湯につかって、安全圏でグズグズしていただけじゃないか。誰かに手ひどくしかられるようなことをやったおぼえがあるのか? 「三日で書いた小説を出したって言えるのか?なあ、どうして締め切りを守らない?どうしてギリギリにならないと手をつけない?なぜだ?わかるか?……怖いんだろ、勝負の場で評価を受けるのが、大きな舞台で失敗して、その「才能のなさ」ってやつを突きつけられるのが怖いんだ、だからブログで適当に書いて、放っておいたんだ、そうだろう?」 三千文字、それがおれの限界だった。勢いで書ける文字数。勢いで読める文字数。ふと思うことがある。狂ってしまったあいつは、やたらと小難しい本を読んでいた。でもそれについてあいつの言葉で説明させると、とたんに言葉が濁ってしゃべれなくなった。おれもそうだ。頭のいいやつの書いた頭の良さそうな本を読むと、頭がすらすらと良くなった気がして気持ち良かった。自分の書く文章は、それにくらべてとんでもなく読みづらかった。理由はわかっていた。おれたちは頭があまり良くない。だから、文章を長く書くことができないんだ。もって六千文字、元気に書けるのは、三千文字。一日に三回も書けば、その果てが知れる。だから書かない、手堅くまとめる、ブログで十分、いや、ブログだって続けて書けやしない。目の前にあることや、目の前にあるもののことを書くのすら苦痛になっていった。やがて生活の幅がせばまって、他人にも会わなくなって、おれは書くことがなくなった。 バイト先のあるビルが、目の前にあった。二階の編プロでおれはビデオの編集をしている。雑誌付録のDVDを編集して、雑誌基準のモザイクをかける仕事だ。毎日毎日一時間のAVを五分や三分にちぢめて、大きなモザイクをかける。それだけだ、ただそれだけがおれの仕事だ。本当は社員になって、ほかの仕事をしながらもっと給料をもらうこともできた。だがおれは断った、何も考えたくなかったし、何か特別な役割を与えられるもの嫌だったからだ。おれは工場の部品のように、ただ黙々とモザイクをかけた。職場にはホワイトボードがある、そこにはバイトや社員の名前が書かれている。おれの名前はない、おれは部品だから。 大きな仕事があった。去年の暮れに、魚みたいな目をしたプロデューサーから、金にはならないが将来につながる大きな仕事だと言われた。三つあるうちの二つを落とした。そしてその仕事は別の人間の手に渡った、魚の目はくるくると回って、おれは二度と使ってもらえないらしかった。「賠償金」などという言葉も出たが、その意味はわからなかった。とにかくおれは失敗して、そして職を失った。 確かにおれは一九七六年生まれだが、このナナロク世代という言い方には本当に腹がたった。何が世代だ、そんなものは占いと一緒で、歴史としては事実かもしれないが、結局は個人差の範疇だというのに。ああ、嫌なことをまた思い出した。おれが十七のころだ、趣味でミニコミを書いたりしていたが、自分が何になりたいのか何て考えてもいなかった。それを読んだある作曲家が、おれが二十六のときにこう言った。「きみが十七才の時にデビューしていたらねえ、すごかったのに、十七であれが書けたんだから、すごいよねえ、でも今じゃ二十六だから、普通だねえ」 「おはようござい…」と消え入る「ます」を引き連れながらおれはドアを開けた。据えた汗のにおい、もうもうと煙草のケムリ、ここだけまるで八〇年代のままだ。エアコンがヴィーヴィー悲鳴をあげている、むっとする熱気と乾燥した空気。デスクに座り、チーフに声をかける。ボソボソと今日科せられるノルマと、その仕上げ時間について打ち合わせ、おれの一日が始まる。 なぜおれが十七のときに、その作曲家がおれに「デビューしろ」と言わなかったのか。おれが二十六になったときに「もう遅い」とわざわざ言いにきたのかは、わかっているが、わかりたくもない。とにかくおれはもう遅く、それからずっと遅いままだ。 編集ソフトの中で女があえいでいる。声と声の隙間を探して、ハサミを入れる。連発モノの編集は、女が息をつぐ間の数フレームが勝負どころだ。とにかく読者は抜ける場面だけを欲しているが、雑誌の倫理規定はカラミの秒数を厳密に制限している。せっかくの抜きどころにベッドのきしみや男優のあえぎ声が入れば台無しだ。用意されたティッシュのために、長い夜を連発モノで過ごすお前のために、おれは何度も巻き戻し早送り、最適な場面を探し出してダイジェストを作るのだ。 「自己責任だし個人差だ。とにかく一万文字書くのは大変なんだよ、何時間もかけてられないんだ、バイトは夜中まであるし。だいたいブログなんてものは『タダで文章が読みたい』っていう連中がよってたかって盛り上げてるけどね、あれは演劇やりたいって連中が持ち回りでチケットノルマ消化しているようなもんだから意味がないんだよ、そんなところに書くぐらいならチラシの裏にでも書いた方がマシだね」神様は答えなかった。もしかしたら消えたのか?と安心すると、神様は言った。 「ああ、ここで切るよ、だってこの雑誌は射精を載せられないからね。ほかにもいろいろ決まりごとがある、この雑誌はセーラー服禁止、逆にこのメーカーは全部使えって言ってくるけど、何しろ一本一分ってときもあるだろ、全部入れるとがちゃがちゃしちゃうから、こうしてカラミの一シーンだけを入れたりするんだ……わかったろ、これはこれで結構忙しい仕事なんだよ、このあと雑誌用のモザイク入れなきゃならないし。だから一日一万文字なんて書いてるヒマないんだよ」 声だけで得意げというのは伝わるものだろうか?おれは先日知人の声優がやった仕事を思い出した。それはアニメの声優の声を真似て、携帯電話の着信音にして配信するというものだった。はじめに聞いたときは「歌ってるのは、誰だか知らないやつ」というあの歌の歌詞を思い出したが、聞いてみるとこれがなかなか、特にグレンラガンのシモンなど、本物のようだった。ただ、聞いて思ったのは、元のアニメがないときに、この声はどう聞こえるのだろうか、ということだった。知人が言うには、参加した全員が、自分の声ほど、本物とは似ていないように聞こえたらしい。だが、知人の録音したムスカのモノマネは、確かにそっくりではないが、何かこう、本物を思わせる特徴にあふれていた。 それが、得意げな声、というやつだ。ムスカ大佐の得意げさは、その顔や動きではなく、声にあるのだとそのとき気づいたのだ。長い前置きだったが、神様の言葉は、もうその得意げにあふれてあふれてしかたないほどだった。そう、おれは確かに自分から一万文字の話をぶり返した。わかってる、興味があるのは自分が一番わかっている。 儲かることに興味があるのか、それとも一万文字か、できれば文字数であってほしかった。だが金もほしい、それは事実だ。どうせ幻覚の言うことなのだから、素直に聞けばいいのにと思うのが素人の浅はかさ、頭の中で喋る誰かの言うことを素直に聞くことができるのは、よほど頭のおかしいやつだけだ。と経験者は語る。 神様は答えずに、おれの脳をひっかきまわした。目の前がチカチカとまたたき、画面の中の女がこっちを見て微笑む。目に来る幻覚は大好きだが、仕事中に来られても困る。女の口が動き始めて、おれは椅子に座ったまま爪先立った。キーボードが波うち、つられて波の音が聞こえてきた。「と、トイレ行ってきます」おれは立ち上がりトイレに駆け込んだ。そうだ、おれは頭が狂っているのだった。いつからだ? やはり昨晩のことが原因だろうか。医学的にも間違っていることはわかっているが、狂気が伝染するとすれば、それは風邪のように弱った肉体にとりついて症状を示すに違いない。洗面台に向かい、蛇口をひねると水がばしゃばしゃと出てくる、ここまでは本当だ、水を両手ですくい、顔を洗う、つめたい、ああ、本当だ本当だ、鏡を見ると瞳孔が開いている。顔の上にある蛍光灯を見る、まぶしい、本当だ。 ひどい顔色だ、緑と黄色と、白。むくんでいるのに、ほほ骨のあたりは骨が透けたみたいに角ばって白い。不精鬚が無残にねじくれて生えている、なんと汚い顔だろう。笑うと黄色い歯が見えた。 トイレのドアを開けて誰かが入ってくる、目をふせてハンドペーパーを取り、トイレから出ようとすると、その誰かが言った。 デザイナーのイマシロさんは、本物のジャンキーで、いつも瞳孔が開いているか、眠そうかのどちらかだった。仕事の前にも何かを入れているらしく、妙にハイなときもあれば、何を言っているのかわからないときもあった。自宅でパーティーをするからと言っては何度も誘われたが、体調不良を理由に断っていたら誘われなくなった。それでも顔を合わせると、人懐っこい笑顔で、手を何かの形に動かして「仲間である」と示すのだった。そう、おれはイマシロさんから一方的にジャンキーであるときめつけられていた。 そういうものに興味がないわけでもなかったが、二十代前半でそういうのはやめてしまっていた。別に卒業したとかそういうことではなく、単に金が続かなくなっただけだ。それでも世の中には犯罪を犯してでもそういうものを続けるひとがいるというし、おれはそもそもそういうものへの耐性があったんだろう。煙草も酒も、飲むときは飲むが、飲まなくてもやっていける。あらゆるものがおれの上をなめらかに通り過ぎて、おれはいつも終わったあとの疲ればかりおぼえていた。 それでも彼は、おれを仲間だと思って疑わず、おれが何かぼーっとしていると、わかるわかるというふうにその黄色い頭をゆらすのだった。おれはあいまいに微笑んで答えた。 おれの答えが気に入ったのか、イマシロさんはニッと笑って便所へ入って行った。ドアの向こうから、ライターで何かをあぶる音が聞こえた。 「お前、あいつの名前はおぼえているんだな」と神様が言った。おれは何を言っているのかがわからず、は?と口に出して言ってしまい、あわててあたりを見回した。誰も気づいていなかった。 「昨晩来たお前の友達、二十六才のお前に十七才のお前について話した作曲家、チーフ、お前の親父、ずっと話してて思ったけどな、お前、みーんな、名前忘れてるぞ」 ノドがカリカリに乾いていた。狂うどころの話じゃない、幻覚がおれにアドバイスをくれている。この状況っていったい何だ?名前が思い出せないんじゃない、思い出せないってことすら思い浮かばなかった。おお、神様お助け、名前が思い出せない、誰も、誰が、誰なのか。 主人公はよるべなき孤独な男である。あるとき彼は死ぬのに失敗して、似たような者たちが集う場を救う。その場の者たちは、主人公の軽みに助けられ、まあなんというか、相互依存のような関係を作って、希望があふれて、もう死亡フラグが立ちまくる。そして、その場は歴史的必然として、外部の力で崩壊させられ、力を持たない主人公はまた一人になる。しょんぼりする。 この話が、プロットだと面白いのだが、物語にすると、どうにもいやらしい。なぜなら世界が主人公に優しすぎるからである。もちろん表現としてはひどい目に遭うのだが、どうせ死にたいやつなので、結果的にはお前、都合が良すぎるだろう、というわけだ。自分で書いておいてなんだが、ちょっと甘すぎるんじゃないのこれ。そこで筆が止まっていたのだが、今日、少しだけ霧が晴れた。 赤ちゃんが自立していないと言われるのは、母親がひとりいなくなるだけでたちまちその生存が危うくなるからである。 自立というのはマインドセットの問題ではなく、現にどのように他者とわかちがたく共生しているかの問題だからである。 視点の変化などと言うと安っぽいけれど、この記事を読んで、主人公に対するおれの評価が180度変わったのである。 「倒れる」というのは「不安定な状態が一気に安定した状態に回帰すること」であり、同じことをケミカルに表現すれば「爆発」するということである。 結局書くものは同じなんだが、自分の目線がちょっと変わるだけで「あらお前、面白いじゃないの」となるのが情けない。あいや、情けない、と思っていた。つまりこういうのを自分の力でエイヤと持っていけるのが、大人だしえらいしかっこいいぜと思っていたわけだ。ところが振り返ってみれば、ちゃんとした大人は、まわりと共存しているのである(できてないひとも、もちろんいるが、そういうひとはちゃんとしていない)。 そうすると、今まで「大人が描けない」と思い込んでいたものが、むしろその悩みこそ「子供の視点」じゃなきゃ生まれないものだった、ってことがわかる。そして「いい年した大人同士が子供みたいに戦う話」を好きなのにも、合点がいく。爆発が見たいのだ、心も体もはじけたいのである。性的な意味ではない。バーン、ドーン、ビシャー、しぬ。 人生の中にはたぶん誰しも印象に残るセックスがあって、そこに到る成り行きの不思議や感情の移ろいは、とても神秘的で、非日常の高揚感を伴うものなのに、同時に誰にでもあり得るありきたりな人間の営みの、ちょっとした恵みの日に過ぎないことが、とても奇妙に思えます。 連想するのもおこがましいのだけど、八重子さんのこの文章を読んで、三・四年くらい前に撮った即興映画を思い出した。というか今まで公開しているのも全部即興なんだが。これは「めいろがいっぱい」というタイトルで、上映会などに何度か出したことがあるやつ。 おれの撮ったものの中で、唯一セックスを描こうとした(そして失敗した)ものだ。以前は言い訳のような気がして「即興だ」と言うことにためらいがあったけど、いまは逆に「即興です、これが素です」と言いたい。たぶんこのときはセックスがしたかったのだろう(そして失敗したのだろう)。 もしいまおれが、即興で撮ったなら、躊躇なくセックスを描くだろう、血のりを遠慮なくぶちまけるだろう。でもそれは、また別の何かを覆い隠しているだけなのかもしれない。しれないったら。 麻草郁【あさくさかをる】フリーの企画構成業。マンガや映画の評論など。ここでは日々ふしぎだと思うことへの愛を発露する。たまにゆがむ。 |
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