にとってとは?/ ノーローン
[ 1291] 初音ミクの誕生は僕にとって必然だった:ITpro
[引用サイト] http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20080123/291865/
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初音ミクは製品名であるとともに、このソフトを支えるアニメキャラクターでもある。容姿は、いわゆる萌え系。ユーザーは自分で作った歌や、好きな楽曲をこのソフトに入力し、初音ミクに歌わせることができる。初音ミクが「バーチャルシンガー」になるのだ。初音ミクの歌が「YouTube」や「ニコニコ動画」などの動画投稿サイトで公開され、ネットユーザーの間でブームが沸き起こった。初音ミクの生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之代表取締役に開発経緯や今後の展望について聞いた。 小さいころから音楽が好きで、趣味でギターを弾いたりしていました。一方、大学卒業後は北海道大学工学部に就職。職場で日々、パソコンやコンピューターに接していました。当時、よく考えていたのが、好きな音楽と大学で身に付けたコンピューターをうまく融合できないかということ。自然と、パソコンを使った音作りを楽しむようになりました。 音作りを続けているうちに、今度はそれを人に聞かせたいという思いが強くなってきました。兄妹や友達ではなく、もっと遠くの人にも届けたいと思ったのです。そこで、海外の音楽雑誌に掲載された「売ります/買います」などの読者ページへの投稿を始めました。そうすると、僕の投稿に対して「君の音は素晴らしい」「僕もこんな音を持っている」などの返答があり、コミュニケーションが生まれたのです。やり取りは手紙やFAX。これが段ボール1箱分にもなりました。 こういった活動の中で、海外のコンテンツを日本に輸入したりしていたのですが、いつしか量が増えて趣味の範囲を超えてしまったのです。それで結果的に会社を作ることになりました。それが1995年です。当時、趣味をビジネスにして、大もうけしようという考えはさらさらなかったですね。考えていたのは、音にフォーカスして、音に関してはできるだけ負けないようにしようということ。国内外を問わず、とにかくいろいろな音を集めて、権利を許諾してもらい、音が必要な会社にパーツとして売っていました。 リサーチ・イン・モーション・ジャパン 使い勝手の良さと強固なセキュリティでモバイル・ワークスタイルを変革 グーグルと音楽著作権管理サービスのジャパン・ライツ・クリアランス(JRC)は3月27日,日本国内において動画共有サイト「YouTube」を対象とする音楽著作権の包括利用許諾契約を締結した。契約金額や期間など詳しい取引条件は公表していない。 前回のお話の冒頭で,コントラストが強すぎて目を疲れさせるということを指摘しました。今回はその問題の解決方法から始めて,立体的なページを構成するための色使いや,配色において互いに良い作用を及ぼす“1/6の法則”について説明しましょう。 製品&サービス・ディレクトリ業務アプリケーション設計開発OS/DB/ミドルウエアサーバー/ストレージ |著作権・リンクについて|個人情報保護方針/ネットにおける情報収集/個人情報の共同利用について|サイトマップ| |
[ 1292] オタクにとって「足りないのは覚悟」か? - たまごまごごはん
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070816/1187109472
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「これつまらないなあ」「これエロいし見る人いるのかなあ」と口で言って、一部の作品を猛烈に避けていた頃がありました。隠れオタ時代です。 いや、合う合わないはあるのでそれは選ぶべきなんだけれども、入り口を自分でせばめたり、それを好きな人に「自分は嫌いだ」という嫌がらせっぷりを発揮したりと、もうとんでもなく痛々しいことをしたわけですよ。なんというもったいない偏見。 とはいえ、「自分はオタクじゃないんだ」とか言い張っていた時期って、経験あるひともいるんじゃないかと思います。それがプライド?みたいにしてあるがために「エロゲはやらない」とか「これは作画がダメ」とか「エロマンガなんて買わない」とか、勝手にライン引きをしていたものです。 それこそゲームなんかは一生縁のない人は多いでしょうし、アニメやマンガも全く見ないなんて人もいっぱいいます。 まあ、コーサカは割りとリアリティのない特殊なタイプのオタクなのでなおさらそう感じるのですが、オタクになるのってそんな「覚悟」がいるものなんでしょうか。 自分の経験上、オタクになるのは「素に戻る」ことでした。マンガやアニメが好きだったわけです。それを認めたくなかったり、「そんなのは幼稚な趣味だ」みたいな意味のない優越感に浸ろうと躍起だったのでしょう。うわー、中二病だ。 ある程度の「思い切り」はありました。特にエロマンガと同人誌は、最初買うのが非常に山でした。ちなみに一番最初に買った同人誌はタカハシマコ先生のエヴァのアスカ本でした。今でも大切にしてます。はじめて買ったエロマンガは多分鬼魔あづさ先生。 結局、別にオタクに限らず、スポーツだろうが運転だろうが楽器だろうがなんだろうが、最初の一線というのはあるわけです。 それを超えたらはまる、というのはよくある話。多分もともとやりたかったのだと思います。それがオープンに出来なかっただけ。 ただ、「オタク趣味=後ろめたい」という前提をもってしまうと話は別。それでもいいじゃないか、と思えたなら別に気にならないでしょうし、それはちょっと抵抗が、となるとただ勇気で飛び出すのとは違って「覚悟」が必要な場合もあるかもしれません。 「オタク」とか「萌え」っていう言葉自体には意味はないと思います。それをどう受け止めてどのような意味をつけるが、が個々にとって一番大事なところだというか。 だから、普通にマンガが好きな人は自分のことを「オタク」だと思わなくても、まわりから見たらそう思う、なんてこともあります。また自称オタクでアイデンティティを保つ人もいます。どっちも間違いじゃないです。 「オタク」という言葉と、「ミュージシャン」や「アーティスト」や「スポーツマン」も同列に並べてみます。全部趣味であれば、同じだ、と考えられるようになったとき、自分は途端に気楽になりました。人はどう思うかわからないけど、趣味は趣味です。 ならいっそ「自分はオタクだからー」と言って、好きなことを好きなだけやったほうがお得。ついでに今まで避けていたのも見ておこうかな、オタクのたしなみ!とか思えるようになると、どんどんハードルが下がっていきます。 便利なんですよ、オタクって言葉。「ミュージシャンだから練習する」みたいなパワーがこもっている気がします。 もちろん、自分も作品の好き嫌いや得手不得手はいっぱいあります。ただ、それを「嫌いだ」というとどんどん本当に嫌いになる自分がいやになってきました。 これもブログはじめて分かったことだなあと思うのですが、自分がどんなに嫌いでもそれを好きな人は世の中に必ずいるんですよ。 それに対して「つまらないことを」というのは本当に傷つけることになるし、その人が見出している楽しさを見ていない自分は本当に損をしていると思うし。 誰かが心を動かされているものがそこにあるならば、それは見方を変えれば「楽しめる」場合が実はあるんじゃないかと考えるようになりました。もちろんそれでも合わないのは、仕方ない。 これ手前の二人がドオタクで、後ろの二人がノーマル、っていう設定だと思ってください。あ、かがみは最近リアルなちょいオタな気がしますが。 「2人とも生き生きしてんなァ」というセリフが、とてもイイ。これが嘲笑でもなく、突っ込みでもなく、ただその二人への感想なのがいいんですよね。 「何かを楽しもうと真剣になっているオタク」は、とても輝いている気がします。別にオタク人種至上主義*1っていうわけじゃないけれども、否定や拒絶するよりは、色々なものをみて楽しめる方が断然いいと思うのです。 みうらじゅん氏が「作品は楽しいところを探して楽しもうとするときに楽しくなる」ということを言っていて非常に胸に来た記憶があります。つまり、楽しいところを探す過程が楽しい、という考え方。そしたらB級映画もクソゲーと呼ばれる作品も一気に楽しくなります。 そういう意味では、ニコニコはいいものも悪いものも一気に楽しめるようにできる奇才ぞろいなので、新しい視点をガンガン与えてくれます。これはいい。嫌いだったあれが好きになる、なんてことも多々あります。 せっかくだから、好きなものは好き、楽しいものは楽しい、と言いながらオタク文化をかじっていきたいなあと思えるようになりました。 現実逃避?ばっちこい。行って帰ってくればいい。温泉日帰り旅行だ。旅行先では愚痴はなし、楽しむのがルール。 「げんしけん」で書かれていた「覚悟」。本来の意味は違うかもしれないけれど、こう捕らえてもいいんじゃないかと思うのです。 今回、自分の漠然とした視点を書いておきたいなあという気持ちになったきっかけの記事二つ。お二方とも「純粋に楽しもう」という前向きな視点が感じられて、刺激を受けます。好きなものは好き、もっと好きになりたい。みんながそうであれ、という意味ではなく自分の目標みたいなものかも。 *1:某ネト○ンにうちのサイトはオタク至上主義にカテゴリわけされていて、笑いました。やっぱそうなのかしら。 ヲタク趣味って女と付き合ってパンパンSEXしてると驚くほど無くなっていきますよ。自分にとってのヲタク趣味って言い方悪いけど「代替品」だったのかなぁ、なんて最近思うのデス。 ↑みたいな考え方、否定しきれないんですよね。自分もオタクですがエロゲやプリキュアは恥ずかしいからやらない見ないって態度です。昔は何どんぐりの背比べしてんだ、と自己嫌悪してたんですけど、最近は「自分はオタクだけど他のオタクとは違うと考えないとやっていけない器の小さい人間なんだ」とわかるようになりました。「時間は有限なのだから好きなものを好きなように消費すればいい。ただ自分がわからないものを触れもせずバカにするようなことさえしなければいい」、というのが今の結論です。くますけさんも「自分はオタク趣味は代替品だったと達観できるレベルの高い人間なんだ」という意識がアイデンティティなんでしょう。(ただの釣りコメントでしょうがw)こういうのはオタク世界に関わらず人間の普遍的な問題で差別しちゃいけないとかも似たようなもんだと思います。口では平等と言ってても差異や優越感がないと安心できないのが人間の本能なんでしょう。嫌いなものは嫌いでしかたないけど、そういうものが好きな人がいることを認めよう、ということを具体的な方法論でやっていくには…どうしたらいいんでしょう…地道な啓蒙しか今は浮かびません長文すいません。最後になりましたがコミケ、楽しんできてください!! 自分の場合、はじめて本屋で少女マンガを買った時がもっとも「覚悟」が必要でした。。今思うとそこが「一線を越えた」瞬間だったのかも。 「作品は楽しいところを探して楽しもうとするときに楽しくなる」という言葉、ここで初めて知ったんですが、いい言葉ですね!面白さとか楽しさっていうのは、与えられるだけだとすごく弱いんですよね。やるだけじゃなく作るのと同じで、与えられるだけじゃなく求めるという気持ちが大切なんだと思います。せっかくオタクになれたこの人生。積極的に楽しいことを見つけて楽しんでいきたいです。だからこそオタクに足りないのは覚悟だけじゃなく、積極性なんだと思います。同じオタクでも、創作したり企画したりしている人の方が元気だし楽しそう。例え受け手側だとしても、積極的にその楽しさを享受したほうがより楽しくなるんじゃないかなと。そして、そのための覚悟なのかなとも。 >あと、お金。これのせいで思いっきり楽しめないんですよね。時間も制限無ければもっといいのですが、ある程度はお金でどうにかなるし。 「俺に足りないのは、何かを楽しもうとする覚悟だ」という言葉が胸を撃ちました。自分は流行っている作品を避ける傾向がありまして、みんなが見ているのではなくてマイナーな作品を見て、みんなより自分はマニアックというか他の人より知識が深いだと優越感に浸ったり、流行っている作品なんて中身がないよと中身も見ずに決め付けたりしていました。今思えば完全に中二病でした。そういうことによって素晴らしい作品との出会いを自ら狭めていたと思うとかなり人生を損していると思いました。人に踊らされるのは嫌という考えで流行り物を見ないという考えも流行っているからという理由で作品の本質を見ていないので結局は人に踊らされているのでしょう。流行っている作品に踊らされるのは嫌という幻想は捨て去って純粋に作品を見て、つまんないと思っていたけどこれすごくおもしろいという出会いをたくさんしていきたいと思いました。どんな作品でも積極的に見て何でも楽しめるようになったらすごく人生が楽しくなるだろうと思います。 一部の作品を避けるのってやりますけど、それって自然だと思うんですが。映画でも自分のジャンル外ってあるじゃないですか。それを無理にアニメとかマンガとかゲームで一まとめにして全部好きとか言うほうが不自然かと私は思っていますただ、人にその好き嫌いを押し付ける行為だけが問題だと思うんですよ。でよく一般の人(?)叩かれるオタクの悪い面というはそういう「価値観の押し付け」かと。 はじめまして。『げんしけん』の話があったので。私は斑目さんの“オタクはなろうと思ってなるもんじゃなくて気付いたらなっているもの”という言葉を意識して、笹原の“覚悟”の言葉はスルーしてました。 確かに、“なっているもの”とは言いえていると思ってますが、そこに踏み込む事は出来る人としたいけど踏み込めない人がいるんだなぁと思いました。 この記事を見て自分がなぜこのサイトが好きなのかわかりました。たまごまごごはんを見てると、記事の隙間から「とにかくなんでも楽しんでみよう」というたまごさんの姿勢が伝わってきて、幸せな気分になれるのです。ほんとに文句なしに素敵な考え方だと思います。私が偏見を捨てて色々な作品に触れ、良作を探し出す楽しみを知ることができたのは、たまごまごごはんのおかげです。ありがとう。たまごまごまごごはんって打ちそうになった。 オタクなら面白いもの全てに触ればいいと俺は思いますでも触れても何が有るわけでもないですよね・・・作る立場の人間ならそれは義務みたいなものなんでしょうけど 女性と付き合ってるオタクも結婚してもそのままの人もいっぱいいるんだけどね?ヲタク趣味ってなくなっていきますよ=ヲタクはみんなモテナイからやってるだけwヲタク趣味がなくなっていきました=自分の場合こうだった文意というものに気をつけてコメントしましょうね。価値観の押し付けなんてオタクに限らずやる人いるのですが?オタクの悪い面=価値観の押し付けというのはオタクの中には価値観を押し付けるものという偏見があるからでしょう。(それはただの個人差)一般人から叩かれてるのはなにより「キモイ」というイメージでしょう。私の場合ディープなオタからすればオタクといえないレベルで一般人から見ると間違いなくオタクなレベル。まぁつまりオタクなんて言葉が指すのなんてそんなもんですから気にせず好きなものを楽しむのが一番ということですね。 追記私の友人に到底オタクといえない流行に流されまくりの人いるのですが(まぁ流行オタクといえないこともないですが)、「良いんだってコレマジで。やってみちょっと」としょっちゅういってくる(そのくせ一ヶ月もたてば興味失ってるし)奴がいるんですがこんなのどこにでもいるし。お見合い大好きおばさんとかだって感想さんのいう例に当てはまると思いますし。この場合のヲタクに限らず野球ファン(あまりオタクとは言われない不思議)にしろ洋楽マニアにしろそういった押し付けをする奴もいるしひっそりやってる奴もいる。なので「価値観の押し付け」をオタクの悪い面なんていうのは無理がある。オタクは価値観を押し付ける。格好に気を配らないからキモイ。同人誌やら作画やらについて語りまくる。モテないからはけ口として二次元にハァハァ言ってるだけ。ロリコンで陵辱監禁大好きでエロゲーやりまくってる性犯罪者予備軍。そういったイメージが一般人から嫌われ、自分はオタじゃないという人が増える原因なのでしょうね。 はじめまして。文章、大変興味深く読ませてもらいました。以下、僭越ながら私見を述べさせてもらいます。積極的に物事を楽しもうとする意識、大事なことだと思います。ただ、それが度を過ぎると、楽しもうとするばかりに自分自身の気持ちを蔑ろにしたり、自分の感性を軽視するといった危うさも滲み出てくる場合もあるのでは?「つまらない」ものを「面白く」だけではなく、「つまらない」ものを「つまらない」とする、これも同じく大事なことだと思います。たとえば・・恋をしてる時には意中の人の仕草はどれも可愛らしく見えるものですが、事が結婚に及ぶと、相手のプラス面とマイナス面を慎重に考えるようになるのではないでしょうか。楽しいことを積極的、能動的に探しながら、他人とは違う自分を「自覚」し、自分で評価し、その上で楽しむ。オタクに徹する限り、オタクに求められているのは「覚悟」と「自覚」、あとお金(笑)かと考えます。Blog文の主旨と違っていたらすいません。オタクの定義付けは個人個人で違うためかこういう話題は難しく、また、いろんな意見が出て面白いです はじめまして。「覚悟」と言うのは「金や時間がかかる」のも無論ですが、「自分の上限」を越えてみた人達の事だと思います。「できない」「無理」「何もそこまで」最初っからこう思ってる人には絶対越えられない壁でしょうね。「自分のキャパシティ」を自分で決めつけてるみたいで。「越える」と実に楽しいんですがね。「食わず嫌い」はなくなるし、(とりあえず首突っ込んで「あ、生理的に合わんわ」ってのはありますが)。趣味のカテゴリーが増えて、「これ以上ついていけん」と思ったらそこでブレーキかければいいだけで。ただ、趣味の押し付けはいけませんな。むしろ、「自分が楽しそうにしてるところを周りに見せる」事で「ちょっと興味持ってきた」と思わせる方がベターだと思います。それでこちらに色々聞いたりするならできるだけのバックアップはしたいですしね。 はじめましてです。スタンスにすごく共感したのでコメントさせていただきます。 自分がいわゆるオタク文化に最初に触れたのはライトノベルだったと思いますが、その中で「こんなに面白い話があるのに知らないまま過ごしていたなんて勿体ない!」と思うものがたくさんありました。その時期から徐々に、偏見の目で見ていたアニメやマンガなんかも、とりあえず売れているもの・勧められたものは見てみよう、面白かったら儲けだ と考えまして、その時から格段に取っ付きやすくなった気がします。こういうことですよね?一時は布教厨と化してたりとか、今となっては苦い思い出です。自分はやはり偏見の目を気にしてオープンには行けないので、好きなもんは好き と言えるネット(ブログ)環境があることに感謝してます。 恋とはするものではなくて落ちるものだと言います。オタクも同じでなるものではなくて堕ちるものでしょう。 おたくも極め尽くせばそれで食えるようになります。「おいしんぼ」の世界じゃないですけど「究極のおたく」となりましょう 筋肉少女帯再結成初のニューアルバムだ!ロッキンホースバレリーナが目印。あの名曲「イワンのばか」ニューアレンジも収録。 「アオハルッ!」元気はつらつに飛び回る子供たちの淡く明るい、恋愛と友情、そしてアホの子。明るさが目にしみてなぜかじわじわ涙がにじむ逸品。 まったく別展開の小説版は、子供たちの姿にスポットをあてたジュブナイル。コイル好きなら新鮮に楽しめます。 タカハシマコ「乙女ケーキ」。百合好きなら特に「タイガーリリー」は必見。少女達の身体感覚と心のありかを繊細なタッチで描いた傑作集。 乙ひより「かわいいあなた」。やさしく流れる時間と、ゆったりとした安心感と体型。女の子同士の情の通い合いをしっかり描いた傑作。 星里もちる「わずかいっちょまえ」。あの子供だった日々を思い出す人へ、子育てをしている人へ、次の世代の子供達へ伝えたい、私の選ぶ一冊。 あさりよしとお「なつのロケット」あの時、全力で科学へ挑もうとした心をぼくは忘れない。「まんがサイエンス2」とあわせてロケット入門書としても使える一冊。 [マンガ会議]恋するヒロインがぼくらは大好きです。「男女とも楽しめる少女漫画会議」第一部〜男から見た少女漫画の思い出〜 [マンガ会議]少女マンガを様々な視点から楽しもう!「男女とも楽しめる少女漫画会議」第二部〜男でも女でも楽しめるオススメの少女漫画〜前編 |
[ 1293] 「ゲーマーにとって自分の死は快感」研究を考える | WIRED VISION
[引用サイト] http://wiredvision.jp/news/200803/2008031822.html
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また、死に方も数え切れないほどだ。多くのゲーマーと同じように、私はこれまで、自動小銃『AK-47』を使うテロリストに殺され、気味悪い毒グモに殺され、エイリアンの投げる破砕性手榴弾で吹き飛ばされている。 その他にも、中世の剣で突き刺され、恐竜に襲われてまっぷたつに引き裂かれたこともある。私の存在に気付きもしない、建物20階分の高さの、歩く戦争兵器に平然と踏みつけられたりもした。 しかし、こんな説がある。こうした「死」の体験が、ゲーム経験のなかでも、ゲーマー自身にとっては最も楽しいものだったかもしれない、というのだ。 この論文のなかでRavaja氏が達した結論は、あまりに直感に反していて驚かされる。ゲーマーたちは敵を射つことが好きなのではなく、自分自身が射殺されたときに喜びに満たされるというのだ。 まったくその通りだ。Ravajas氏は自らの実験で、被験者となる36名のゲーマーたちに複数のセンサーを装着した。これらのセンサーは、主要な顔の筋肉の筋電図活動や皮膚伝導レベルなどを測定し、その感情状態を詳細に記録するものだ。 さて、実験の結果はどうなっただろう? 敵をやっつけたとき、被験者の筋電図活動は急上昇したものの、顔の表情は悲しみとして記録された。 「これは、勝利と成功が喜びをもたらすのではなく、敵を傷つけ、殺してしまうことが苦悩あるいは怒り、またはその両方を引き出すということだ」とRavajas氏は説明している。反対に、ゲーマー自身が殺されたときは、センサーが「肯定的な反応を示す、非常に興奮した感情」を検出した。 Ravajas氏は、ゲーマーたちがこのように感じる理由について、確信はしていないものの、独自の理論を展開している。人間がゲーム内の敵を殺すときに苦悩を感じるとしたら、それは心に植えつけられたモラルに背いた行為だからだというのだ。 つまり、人間は、たとえそれが仮想世界の中であっても、人殺しが悪いことだと認識しているということだ(興味深いことに、この主張は「脱感作の理論」と相反するものだ。仮想上の敵を殺しすぎると暴力に対する感覚が麻痺する、と心理学者らは懸念している。ゲーマーたちがこの感覚の麻痺に抵抗していると思われることに、Ravajas氏は「安心した」と述べている)。 しかし、Ravajas氏の実験結果でさらに奇妙なのは、ゲーム内で自分が死ぬことに興奮を覚えるというところだ。同氏はこの原因を、殺されることが「ゲームへの没入から一時的に開放されること」を意味するからだ、と考えている。一人称シューティング・ゲームのプレイヤーは、非常に緊張した状態にいるので、たとえ自分の身体が粉々に吹き飛ばされたとしても、一時休止できることに喜びを感じるというのだ。 私が『Call of Duty 4』のようなシューティング・ゲームをプレイしているとき、自分の感情は以下のように推移する。戦争で荒廃した建物を駆け巡り、甲高い笑い声を上げるテロリストに追い詰められた私は、自分の視界いっぱいに血が染み渡ってくるのを目にする。胃は緊張でカチカチになり、隠れる場所を半狂乱で探し求めていると、そのとたん、大きな衝撃を感じる――散弾銃を持った男たちでいっぱいの部屋に転がり込んでしまい、顔に大打撃を受けたのだ。 地面にペチャンコになった自分の死体を眺める私は、確かに困惑している。しかしこの困惑の感情は、同時に感じている「安堵」の感情ほど強力なものではないのだ。自分の身体の緊張がほぐれていくのを感じる。 実際、多くの場合、私はゲームに激しく没頭してしまい、身体をひどくこわばらせていたことにさえ気が付かない。私は死にたいとは考えていないと思うが、自分の精神を健全に保つためには、おそらく死ぬことが必要なのだ。 しかし、すべての死が同等というわけではない。これは奇妙に聞こえるだろうが、殺されることが他のゲーム以上に楽しく感じられるゲームがある。なぜなら、デザイナーのなかには、美学的に、そして遊びの理論的にに「満足のいく死」を作るセンスにおいて抜きんでた人たちがいるからだ。 そうしたゲームのなかでも、私の一番のお気に入りは、間違いなく多人数参加型オンラインゲームの『Halo 3』だろう。自分が死ぬ瞬間に、このゲームでは唐突に一人称から三人称へと視点が切り替わる。Haloの世界における動きは非常に動的に表現されるので、手榴弾や顔面への汗まみれのパンチで死亡すると、多くの場合、死体は、投げ上げられたぬいぐるみ人形のように手足を激しく揺らしながら優雅に回転し、空中に舞う様子を目にすることになる。 これは要するに、瀕死の体験をした人々が報告している幽体離脱体験によく似たものだ。しかも、Haloでの体験は実際の幽体離脱体験を上回る。なぜなら、Haloではかなり高度なカメラ制御ができるため、リスポーン(復活)を待つ間、私はまるで好奇心の強い幽霊のように、自分の身体の抜け殻の周りをうろつき、冷静に調べることもできるからだ。 これは奇妙に優雅な「禅」の瞬間であり、戦闘時の「戦うしかない」という興奮状態と、見事な対照を成している。 もちろん、三人称視点への切り替えを採用しているシューティング・ゲームは他にもたくさんある。しかし、『Halo 3』の開発元である米Bungie社は、これを、ゲーム体験によって紡ぎ出される一種の詩的な体験のレベルにまで高めている。 この切り替えを「死のアーキテクチャ」と見なすこともできる。ゲーム・デザイナーはこの機能にもっと注目すべきだ。この世で確かなのはただ1つ、誰もが死ぬ運命にあるということなのだから。 |
[ 1294] ゲーム内広告はオンラインゲーム事業にとって両刃の剣:特集 - CNET Japan
[引用サイト] http://japan.cnet.com/sp/gamesad/story/0,3800075712,20344705,00.htm
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海外のみならず、日本でもゲーム内広告については広告業界を中心に非常に注目されている。「ゲーム」という新たなメディア価値が認識されつつあるが、その半面でゲーム内広告に関する認知や具体的な動きはまだまだ鈍い。こうした状況にあって、オンラインゲーム事業者は、ゲーム内広告をどのように捉えているか。 まずは、オンラインゲーム事業者の収益構造を見てみよう。現在、国内のオンラインゲーム事業者の収益の柱は、大きく分けて以下の2つある。 韓国に本社をもち、日本ではソフトバンクグループなどから資金提供を受け、ゲームポータルサイト「ネットマーブル」を運営するCJインターネットジャパン、そしてサイバーエージェント系列のオンラインゲーム会社で、ミニゲームなどを集めた「アットゲームズ」を展開するジークレストは、共に収益の大半をアイテム課金が占めている。サイト内で使える仮想通貨をあらかじめ購入し、その仮想通貨でアバターやアイテムを購入するというスタイルだ。 CJインターネットジャパンのマーケティング部長 沈宰範氏は、「仮想通貨がらみの収入のうち8割くらいがアイテム課金で、2割がアバター課金。ネットマーブルに広告メニューがあるものの、メインの収益はマーブルポイント(仮想通貨)からだ」という。 これに対して、ジークレストの執行役員ポータル事業部長 末光晴人氏は、「6割がアバターアイテム課金で、その他『トリックスター+』『競馬伝説Live!』など、自社の大型ゲームの利用料金による収益が2割。アットゲームズ内には、バナー広告は一切置いていないんですよ」と言う。 つまり、両社にとって現時点では、広告に頼らない収益構造になっているのだ。しかも両社のアバターアイテム課金は好調で、これに伴って業績も右肩上がりを続けている。このアバターアイテム課金の顧客単価について、CJインターネットジャパンの沈氏は、「オンラインゲームでユーザーが使う平均金額は月額数千円と言われるが、これよりも高く推移している」と言い、ジークレストの末光氏も「アバターアイテムの業界平均は約4500円といわれるが、これを1000円近く上回っている」と言う。 そのため、ゲーム内の広告スペースを既存のメディアのように扱って単純なバナー広告などを掲載する「インゲームズアド」といったゲーム内広告には慎重な姿勢を示す。アドバゲーミングのシニアマネージャーである横地潤氏が「下手に広告を登場させるとゲームの世界観を壊してしまう可能性がある」と指摘するように、ゲームの世界観を壊してしまうと現在の収益の柱であるアバターアイテム課金を減らしてしまう可能性が出てくるからだ。 これについて、CJインターネットジャパンの沈氏は、「大切なのは、ユーザーに違和感なくイベント的に取り入れること。我々はゲームをプレイしてもらって、その体験に対価をいただくゲーム運営会社ですから。世界観を壊してまで広告を入れる意味はありません」と認める。 ジークレストの末光氏も「広告が一方的に送られるインゲームズアドはちょっとまずい。バナー広告ではなくアットゲームズの世界に合うような広告戦略を考えなければならないと考えています」という。 トラックバック一覧からリンクされているウェブページはこの記事にリンクしている第三者が作成したものです。内容や安全性について当社では一切保証できませんのでご注意下さい。 オンラインゲーム事業者の収益構造を見てみよう。現在、国内のオンラインゲーム事業者の収益の柱は、大きく分けて以下の2つある。月額課金ゲームをプレイする利用料金を月額で課金する アバター・アイテム課金ゲーム内のアバターやアイテムの購入に対して課金するという記事 ※サービス名をクリックするとこのページをブックマークできます。また、人数をクリックするとブックマークしている人やコメントを一覧できます。なお、サービスによってはログインが必要な場合があります。 増え続けるファイルデータ。高まるデータ保護と事業継続への要求。データ可用性とデータ保護に優れ、かつコスト効率の高い分散型エンタープライズ環境を実現するためのヒントとは? 分散化の進むオフィス環境においてファイル管理を効率化する方法 〜ファイル管理と移行のための最適なアプローチとは? エニグモが提供するサービスはどれも独自性に溢れている。その源泉となるものは何か――。同社共同最高経営責任者を務める須田将啓氏に聞いた。 オンラインコンテンツのリッチ化により、サイトに訪れるトラフィックを捌くことが日ごとに難しくなってきている。しかしネット上の放送事故は許されない。そこで、知る人ぞ知る存在だった「コンテンツデリバリーネットワーク」という技術が活躍の場を広げている。 ECサイトを運営する上で、そのショップのターゲットを設定し、サイト内での行動を考えることはとても重要です。はたして、男性と女性でECサイト内の行動に違いはあるものなのか、アイトラッキングツールを使って調べてみました。 三菱電機の撤退やソニー・エリクソン・モバイルの製品計画見直しなどで揺れる携帯電話端末事業。飽和状態にあるとも言われる状況の中で、ユーザーの皆さんがどういった観点で携帯電話を選んでいるのか調査しました。 携帯電話のメルマガに関する調査を行った結果、指定受信機能の設定内容やそもそも設定をしたことを忘れ、設定の変更を行わないことでメルマガを受け取れないでいるユーザーが数多くいることが分かった。 三菱電機の撤退やソニー・エリクソン・モバイルの製品計画見直しなどで揺れる携帯電話端末事業。飽和状態にあるとも言われる状況の中で、ユーザーの皆さんがどういった観点で携帯電話を選んでいるのか調査しました。 Skypeなどをはじめとするインターネット電話の利用度合いについて調査したところ、無料での通話に魅力を感じるという回答がほぼ半数となったが、携帯電話の同キャリア間無料通話サービスに比べると利用意向が低いという結果となった。 「悪者探しからは何も生まれない」「ネット業界はコンテンツを出してもらえるだけのビジネス提案をできていない」――著作権問題を議論するJASRAC主催のシンポジウムでは、著作権制度よりも関係者の姿勢のほうが問題だとする声が目立った。 3月5日にバージョンアップし、進化を続ける「ニコニコ動画」(ニコ動)。運営元ニワンゴの取締役で、「ひろゆき」という愛称で親しまれている西村博之氏に、人気の理由や運営のコツなどについて聞いた。その様子を2回に分けて紹介する。 PCサイトでできることも、モバイルサイトではできない場合がある。また、その使われ方も大きく異なる。モバイルサイトならではの特徴を、技術面、利用面から押さえておこう。 YouTubeはAPIを拡張して、動画サービスプラットフォームへの転身を図る。親会社のグーグルにどんな狙いがあるのか、ブログ界の意見も紹介しながら考えてみる。 「画質」でも「記録メディア」でも、さらには「保存方法」でも選べる今シーズンのビデオカメラ。その機能と |
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