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少しとは?/ ノーローン

[ 750] 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/

中国のマスコミやインターネット利用者が、チベット自治区ラサなどの騒乱をめぐる外国メディアの報道批判を強めている。27日付の人民日報などが一斉に米CNNやワシントン・ポストの映像や写真の「誤った記述」を取り上げ、「歪曲(わいきょく)報道が中国の名誉を汚している」と非難。きっかけは大学を卒業したばかりの男性のウェブサイトだった。
サイト名は「反CNN」。米国や英仏などのメディアの「偏向報道」だとする写真や映像を並べて間違いだと批判している。たとえば、CNNが放映した装甲車の映像は、実際は暴徒が投石するシーンを意図的にカットして治安部隊の存在ばかりを強調していると非難。ワシントン・ポストが掲載した「中国当局者によるチベット族抗議者の取り締まり/ラサで」という説明が付けられた写真も、治安当局者の制服からネパールでの衝突の場面だとしている。
サイトは、清華大を昨年卒業してIT会社を経営する饒謹さん(23)が20日に立ち上げ、アクセスは20万回に達した。「国外にいる友人と話していて、海外メディアがでっちあげ記事で中国を中傷していることに我慢できなかった」と憤る。
26日付の中国青年報はこのサイトの画像を転載し「外国メディアの歪曲報道にネットユーザーが反撃」と伝えた。27日付人民日報も取り上げた。
中国外務省の秦剛副報道局長は27日の定例会見で「反CNNサイトを支持するか」との質問に「一部西側メディアのあまりに無責任でろくでもない報道が、こうした批判を巻き起こしている」と声を荒らげて答えた
【北京=矢板明夫】チベット騒乱をきっかけに、北京市民が自主的に立ち上げたとされるウェブサイト「アンチCNN」。西側メディアの“誤報”を微に入り細をうがち、中には写真までつけて詳しく説明している。西側の報道姿勢を激しく批判する論調は中国政府の最近の主張と、まったく同じだ。ところが、このサイト、23歳の中国青年が、自腹を切って短期間で作ったものという。このため、北京駐在の外国人記者の間からは、「それにしては立派にできすぎている」と、“半官製サイト”ではないかと、疑問視する声があがっている。
厳しい情報統制が行われる中国では、外国人向けのアパートや高級ホテルなどを除き、一般家庭ではCNNなどの海外テレビは受信できない。まして、チベット騒乱の起きた後しばらくは、新聞社の支局などでも受信障害が起き、見ることができなかった。当時、北京の外国人記者はみな自社のホームページすら開けないなど、情報収集に四苦八苦していた。しかし、サイトではCNNだけでなく、英BBC、独RTLなどの各国の“誤報”が、写真付きで紹介され、事実誤認の記事なども含め、計数十点が丁寧に並べられている。
「彼はどのようにしてこれだけの情報を集められたのか」。こうした疑問から27日の外務省会見でも質問が出された。秦剛報道官は「サイトは市民の自発によるもの」と強調、政府が協力しているのではとの「疑惑」を否定してみせた。
インド兵やネパール兵がチベットのデモに対し暴行を行ったりしているのを全て中国警察だと報道されているらしいですね。要するにチベットではなくインドやネパールで起こっている出来事を中国で起きているように報道しているとの意見です。
しかし英文で書かれている論文ページ下には「記事を良く見てみろ、ちゃんとネパールで起きている事件と書かれているぞ」というコメントも。
戦後日本社会は、基本的に深く親米的であり続けたのではないか.その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか.戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する
ペリー来航から約一世紀を経た一九四五年八月三〇日、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーは、空から日本本土に降り立った。翌日の新聞はその様子を次のように伝えている。
暫くして星の標識の入った巨鯨の胴腹から銀色の梯子が下された。扉が開いた。一同固唾を呑む。やがてマックァーサー元帥が現れた。薄い上着なしのカーキー服に黒眼鏡、それに大きな竹製のパイプ、南方生活の長い彼としては割合に陽焼けせぬ薄赤い顔をしている。六十六才にしては若い。梯子を降りる前扉のところでややしばらくたたずみ、左右に眼をくばって、写真班のためにポーズをつくる。やがて梯子を下りて飛行場の前草の上に立った。(朝日新聞、一九四五年八月三一日)
だが、このマッカーサー日本上陸という決定的な瞬間で最も興味深いのは、彼の演技と日本での報道の間の奇妙なギャップである。マッカーサーは、バターン号のタラップから降り立つ瞬間の自分の姿を周到に計算していた。後に有名になるこのときの映像からも、彼がメディアのまなざしに過剰なまでに意識的だったことは明白である。そもそもこの日の到着に際し、彼は日本政府の出迎えを断っても、新聞記者団には取材を認めていた。多数のカメラが取り囲むなかでタラップに降り立つと、彼は一瞬立ち止まり、さあ写真を撮ってくれとばかりにポーズをとった。軍服に身を包み、サングラスに軍帽、コーンパイプというお決まりのいでたちは、紛れもなく敗戦国に降り立つ新しい支配者にふさわしく見えたはずだ。
だからこそ、多くの「占領」をめぐる言説で、この日のタラップ上の威厳に満ちたマッカーサーの姿は翌日の新聞に載り、敗戦国の国民を圧倒したかのように語られている。しかし実は、袖井林二郎がすでに指摘したように、日本の新聞各紙は、これほど印象的な写真を翌日の紙面に採用してはいないのである(袖井林二郎『マッカーサーの二千日』中公文庫、二〇〇四年)。たとえば翌日の朝日新聞に掲載されたのは、マッカーサーとアイケルバーガー中将が腕をとりあって微笑む何の変哲もない写真だった。しかも、マッカーサー到着は、新しい日本の支配者の登場という決定的な出来事であったにもかかわらず、翌日の紙面のトップ記事にすらなっていない。朝日新聞の場合、トップに来ているのは、東久邇宮稔彦内閣が民意を直接聞くために、広く国民に政府への投書を呼びかけるというニュースである。それよりはるかに重要な意味を持つはずのマッカーサー元帥到着の記事は、二番手に格下げされている。
いったいなぜ、マッカーサーが自ら演じ、ポーズまでして撮影させた写真が、翌日の新聞には載らなかったのだろうか。適切な写真が存在しなかったわけではない。後の時代になるとまさにこのタラップ上のマッカーサーの写真が出回るようになり、日本の降伏を象徴する一枚として利用されていく。しかし一九四五年の時点では、この写真は採用されなかったのである。
もう、あの有名な写真は新聞や雑誌にその翌日・翌週には掲載されまくりかと思ってたんですが、違うのか。
ぼくがその写真を最初に見たのは、いったい何でだっただろう。学校の教科書とか年鑑・図鑑だったかな。まったく覚えていない。みなさんはいかがですか。
すみません。こんな横槍入れるのもなんですけど、こんなこと言う奴にまともに対応する意味ありますかね。こんな奴が言う疑問に答えるためにD_Amonさんが専門家たる安仁屋さんが問い合わせる必要がありますかね。ホント本線からハズれるコメントですけど、すみません。
大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判(おおえけんざぶろういわなみしょてんおきなわせんさいばん)別名:「集団自決」訴訟、沖縄戦「集団自決」裁判、大江氏賠償訴訟、または沖縄集団自決冤罪訴訟は、大江健三郎、岩波書店を元沖縄戦指揮官および遺族が名誉毀損で訴えた裁判。2005年8月大阪地方裁判所に提訴され、2008年に結審。3月に判決が言い渡される。
ぼくの感じとしては60:40ぐらいの確率で原告側が負けるんじゃないかと思ってます。どういう風に負けた(負ける)か、という興味なので、勝った場合にはむしろ興味が半減してしまうのです。
だいたい最近の物語がどんなものかと思って、『恋空』的なもののひとつとして、こんなのを読んでみた。ただし漫画。
あらすじ: ナツ(関めぐみ)、ココ(貫地谷しほり)、マリネ(徳永えり)は、いつも一緒にツルんでいる仲良しトリオ。遠距離恋愛中の彼にフラれたナツは、その直後に妊娠していることに気づく。一方、ココの母親とマリネの父親が、偶然の出会いから恋に落ちる。周囲が恋の季節に華やぐ中、彼女たち18歳の乙女心はさまざまに揺れ動く。(シネマトゥデイ)
もう少しくわしい説明を入れると、ナツの恋人とナツはセックス。がっつりセックス。で妊娠。でも恋人は死んじゃう。クリスマスプレゼントでナツに渡すはずの婚約指輪を残して。ナツは、友人のココとその恋人の結婚式にあわせて、一人だけの結婚式をおこなう。結婚相手は天国の彼。超遠距離恋愛。一度はおろそうと思ったお腹の子供がいる。
感動はいいんだけど、このナツは高校3年生、恋人が大学1年生で、ラブホへ行ってがっつりセックスするわけですが、セックスシーンはあってもこいつら風呂に入らないでやるのかよ、と思った。俺だったらいくら美少女でも十代の汗臭いコムスメよりは三十路のお色気さんを選ぶね。いやもちろん絶対風呂には入ってセックスしてるとは思うんですよ、いくらなんでも。でも、ヒロインは髪の長いコムスメ。頭洗うかな。まぁ洗わないかもしれない。
しかし、自分の娘がどこかに行って、セッケンのニオイさせて帰って来たら、どんな馬鹿な親でも気づくだろ。友達とスーパー銭湯に行って来たとでもいうのか。この二人の恋愛は、どの程度まで親バレしてるのか、妙なところが気になって気になって、これが「リアル」というものの気になり具合として、どうよ、という話。
たとえば、普通に物語を読んでて、その物語の中では主人公やヒロインがトイレ行ったりしなくても、別に「非リアル」だとは思わない。雨の日とかがほとんどなくても気にならない(雨のシーンは描くのがちょう面倒なのです)。つまり、「ここまではリアルじゃなくても全然問題はない」という許容の幅は、けっこうある。
で、ぼくの場合は高校生がラブホでセックスして親バレしていない(恋人関係ではあっても肉体関係まではないと思っている)とかいったシチュエーションが、もしあったとしたら、それにはリアルを感じない。でも、感じる人もいるんだろうな。多いかもしれない。それはどうなんだろう。ちょっと聞いてみたい。
あなた(できれば女性)は、自分の恋愛行為がどの程度まで親バレしていると、高校生の時には思っていましたか?
…なんか増田(はてな匿名ダイアリー)みたいに青臭いエントリーになりましたが、たまにはこういうのもいいだろう。
以下のテキスト、ぼくにはすごくまっとうのように思えたのですが、ブックマークでは「これはひどい」タグが貼られてたりして驚いた。
思うに、サイト読者のことを考えるなら、「つまらなかった」というだけの感想は必要ないと思うんですよね。だって、役に立たないから。役に立たない、とぼくは思っている。
そのようなとき、「つまらなかった」感想はどのように役に立つでしょうか? 仮にその意見が正しく、信頼できるものだったとしても、あまり役に立たないのではないでしょうか。
これに対する何らかの意見として、ぼくの日記で「読みたい本」タグを拾うと、以下のものが拾えるわけですが、
これをどうやってセレクトしているか、については以前ぼくの日記で書いたことがあるので、まずそれを読んでいただいて、
それはそれとして、ぼくが実際に読んだ本は…多分100冊行くか行かないか。はじめの数ページを読んで「こりゃダメだ(いろいろな意味で)」という判断をしたのもあるから、数百冊は手に取ったかな。
本当に本を読むのが遅いなぁ。本は好きだけど、本を読むのは遅い。仕事とかヌキにして、あとネットに割く時間をもっと少なくして、毎日本を読むだけの生活をしたら、なんとか1日3冊ぐらいは読めるかもしれないが、人は生活するための金を稼がなければならないので、まぁリタイア後ぐらいしか考えられない。アマゾンのアフィリエイトで暮らす、という夢のような生活もあるのかな。しかしそのためにはどうも、ビジネス書とか『あなたが人生で成功するための○つの方法』(仮題)みたいな、ぼくにとっては少し苦手な本をメインに紹介しないといけない気がする。そんなことないですか。『一六世紀文化革命』みたいな本、みんな読んでる?
2・週に一度の更新で、面白い本を紹介するかわりに、一日数十アクセスしか人が来ないサイトにする(ていうか、そうなっちゃう)
という選択肢があるわけですが(ていうか、他の選択肢が思い浮かばない)、なんか、どちらもそれなりにつらい気がします。
後者の選択をしているところとしては、たとえば紀伊国屋書店が書評家のために設けている、以下のところなどがありますが、
いや何かこれは評価に困るな。まさに原作バスター。というか、オリジナルキャラ・バスターか。本物の○○○とか○○とか○とかだったらこんなことしないようなことをしてるよ。あんまりこういうジャンルにくわしくないのですが、原作(のキャラ)に過剰な思い入れをしている人でなければ普通に楽しめるロボット系アニメのような気がする。普通にオリジナルのキャラで作ればいいのに、なんかサンライズだよ。
ちなみに『スカイガールズ』のほうが個人的には楽しめた(まだどちらも全部見てはいないのですが)。
→女性(少女)が何か巨大なロボットのようなものに乗って闘うアニメでお勧めの作品を教えてください。
とりあえず、ゼーガペインとアクエリオンは見ようかと思った。あとシムーンか。ついでにアリアも見ておこう。
歴史修正主義とは、一般的には客観的・論理的・科学的・学問的に構築された歴史モデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加える思想・歴史観のことを指すとされるが、ある特定の歴史家、歴史観に対して否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いられるという指摘もある。また、単純に主流派の学説を批判するものは歴史修正主義者、それに対して反論する主流派を反歴史修正主義者と呼ぶ事も出来るが、実際には反対の例も在るため一様ではない。通常、歴史家は自らのモデルを歴史修正主義と呼称するのは希である。
ううむ、どうかな。最近は不幸な人を見るとどうすれば幸せにしてあげることができるだろうかを考えてしまう。
多分この人は不幸なタグをつけることが幸せなのだろうから、ぼくがこのようなエントリー(記事)を公開して、それに対してこの人が「これはひどい」タグをつければ、多分すごく幸せなんだろうなぁ、と思った。

 

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